バッファロー
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リトルコヨーテのホームページに数日前から、Jhon Goes In Centerのコヨーテのタイスライドが載っています。
「これって何?」というお問い合わせを何件かいただきました。
これは、ループタイのトップです。
裏面の輪に紐を通すと、ちゃんと固定されて、スライドさせて首に掛けます。
下の写真は、バッファローの皮ひもを通してみたものです。
ループタイの紐って、専用のものがあると思います。 これは通し方の例としてバッファローの皮ひもを使ってますが。
30年くらい前にJhonが作ったものです。
ジャーマンシルバー、ブラス、銅は、すでに古びて貫禄さえ感じます。
しかし、よく持ってたものです。Jhonがジュエリーを作り始めた初期の作品だからでしょうか。
ラコタなのに、なぜサボテンなのかな?
きっと、作り始めで何でもかでも面白く、イロイロ考えずにただ楽しんで作ったんだろうな。
今のJhonの作品の精緻さに比べたら、とても比較にならないけど、若かったJhonの熱意は感じます。
30年前、その時代のラコタはどんな感じだったのでしょう。
決して豊かでなく、貧困やアルコール問題や、部族警察と一般の人の間の緊張や、今も解決されていない多くの問題をそのまま抱えていた時代でしょうか。
何を思って作ったのかなあ。
現在のJhonの家は、とても品良くおしゃれに飾られていて、サイドテーブルに置かれた鹿の角で作ったランプに、ビーズのキーホルダーや、メディスンポーチや、ブレスレットなどが無造作に掛かってて、何度訪れてもいつも新鮮で目を楽しませてくれます。
でも、このタイスライドは見たことなかったな。ひょいと出てきたのかな。
引越しのために押入れの整理をするときに、本当に懐かしい、もう使わないけど愛着があって捨てることも出来ない、後生大事に持ってるわけでもないけど、なぜかいつも付いてくる、そんな物って、国境を問わずあるってことでしょうね。
それにしても、ラコタなのに何故サボテンなのかなぁ。
裏のホールマーク(サイン)は、円の中央を射る矢です。
なるほど、この頃から使ってたのか。
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Kevin・Pourierの奥さんと私は同じ年だし、彼女は東洋文化が大好きで話しに尽きることがなく、私は居留地にあるポーリアー家を訪ねるのが好きだ。
時間がなくて訪問出来ず、ラピッドシティのモーテルから電話をすると、翌日はるばるラピッドまで車を飛ばして会いにきてくれたりする。
1996年か、1997年だったと思う。初めて会ったのは。
Kevinは、バッファローホーンにチップインレイを施して工芸品やジュエリーを作るラコタ・アーティストだ。バッファローホーンを使うようになったのは、自分のインディアンネームにちなんでという事を聞いた。アメリカンバッファローの角はホローホーンと言われるとおり芯は空洞だ。磨くと、オニキスの黒とも違った独特の深い黒色が光沢を帯びる。
この角に文様を彫って、彫った部分に貝や石の粉末状のものをインレイする。日本でいうと象嵌に近い。
当時、バッファローホーン作家はKevinだけだった。後に数名追随するようにバッファローホーンで作品を制作する人が現れたが、Kevinは依然圧倒的にダントツですごい作家だと思う。
そしてもうひとつKevinがすごいと思うのは常に高いモチベーションを維持し続けていることだ。
Native・Artの枠にはまらず、世界を視野にいれている。
あのリザベーションの、四方はただ平原となだらかな起伏の丘、コヨーテの声が聴こえる闇夜と、イーグルが巣を作る雑木と、止まったような時間の中で、モチベーションを維持し続けるなんて並大抵なことじゃない。
奥さんは、「冬は雪が積もって、家から車が出せなくなるの。何日も降り続くと、世界は私たちだけで とっても孤立した気分になるの(Isolatedと彼女は表現した)」と言う。
ラコタは、インディアンの工芸品やジュエリーなどの市場が確立しておらず、作品を作ってもそれを販売する場がとても少ないので、制作だけで生計を立てることが困難である。
作っても売るところがないので少ししか作らなくなる、なので少しでも高く売ろうとする、そうすると買い手がつかない、それで更に作らなくなる、というのは悪い循環だ。
実際ラコタアーティストの中で、制作だけで生計を立てている人がいったい何人いるだろう。
この状況の中で、Kevinは着実に全米に自分の作品を認めさせてきた。
ニューヨークにある美術館はKevinをNativeArtの代表者として招待し、全米中の多くのコレクターがKevinにオーダーをし、その作品を賞賛する。
この10余年、Kevinの大変な辛い時期も見てきたから、今この成功は私を感動させる。
Kevinの作品は年々高くなって、買い付けに行っても買えないことが多い。
1999年の私の誕生日に、私の名前のイメージで作ったペンダントをもらって後生大事にしている私だ。
このブログにKevinの作品の写真を載せたいけど、Kevinの凄過ぎる最新の工芸品を私が持っていないのが残念だ・・・写真はメールされてきたけど、勝手に載せたらダメだと思うし。
そこで、かれこれ6、7年前に仕入れたバッファローチェイスの私のお気に入りのブレスレットの写真を入れてみた。これも既に私の元にはないが、今も思い出すお気に入りだ。
現在は、主に工芸品中心で、バッファローホーン全体を使ったスプーンなどは圧巻だ。
時々、Kevinからメールが来て、これもまた一段と凄みを増した作品の写真と、夫妻の忙しい近況が綴られていて、「あ~、ずっとこの人たちの友達でいよう・・・」と姑息に思う私である。
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インディアンには深刻なアルコール問題がある。
なにかで、インディアンの人々は体質的にアルコールを分解する能力が低いと聞いたことがある。依存症になってそれから抜け出すためにソーシャルケアに通う人も多い。
もちろん居留地では、アルコールが厳禁である。
バーも酒屋もないし、もしあったとしても買える曜日が限られていたりする。
ところで、私はお酒を呑む。ビールも焼酎もワインも人並みに呑む。
疲れて帰った夜には、冷蔵庫からキンキンに冷えた缶ビールを取り出すと生唾がでるくらい。「お疲れさん!」の一杯は格別に好きだ。
居留地でも買い付けに駆けずり回り、折衝に疲れ、待ちくたびれ、くたくたでモーテルに帰りついたらビールが呑みたくてしかたなくなる。
そして何でもいいからテレビをつけて、ビールで緩んだ気持ちでボーっと観ている。
騒がず、泣かず、ただただボーっとしている。害のない私である。
ただ、「ここ一番!」のとき、何が何でも上手くいかせなければならない物事があるとき、私はお酒を呑まない。イーグルフェザーが近くにあるとき、お守りの石を首にかけているとき、私はお酒を呑まない。
私は日本人で、アセトアルデヒドもばっちり分解出来、アルコールに弱くもなく、呑んではいけない理由もないが、呑めなくなる。
大事な場面でのこれは私のジンクスのようなものだ。
靴下を穿くときは左足からとか、試験の前はお蕎麦を食べるとか、それと同じように誰にもあるジンクス。
そうすると自分が強力になって、何かに立ち向かえそうな気がするのだ。
何かが私の声を聴いて、傍にきてくれていると思う、ので、その何かが嫌いなアルコールは呑まないでおこうと、失礼のないように、と思う感じ。
でも「ここ一番」のない平穏な日々には、風呂上りにビールです。
「私は日本人で、アセトアルデヒドもばっちり分解出来、アルコールに弱くもない」から。
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ローズバッド居留地は、パインリッジ居留地の東にあり、この二つの居留地にまたがるようにバッドランドが広がっています。
いつも不思議なのですが、風景はどこも何もない平原なのに居留地ごとに雰囲気が変わっていくのが、運転しながらでもわかるのです。ローズバッドはとりわけ風が強く、ハンドルを取られながら運転して町に着いたら、強風で折れた小枝や洗濯ものが道路に散らばっていることもままあります。
ポール スザボの家は、そんなローズバッド居留地にあります。
一時期は、日本に住む幼さななじみに会うより頻繁にポールに会いに行っていました。
ポールは、ラコタのジュエラーとして早くから活動を始めた人で、先駆者の一人といえるでしょう。もう30年以上もジュエリーを作り続けています。シンテガレシカ大学(居留地にある大学)でアートの講師として活躍していた時期には、教室に連れて行ってもらいました。学生のまだ粗削りな工芸品を、嬉しそうに誇らしげに解説を加えながら見せてくれるのです。
ポールは、コツコツと、ひたすらに、作り続けました。
映画「ダンスウィズウルブス」が公開されラコタに多くの観光客が訪れた時も、アメリカで失業率が1番高い州といわれ荒んだ空気が流れ始めた時も、奢り高ぶることも、投げやりになることもなく黙々と作り続けました。だからスミソニアン美術館にポールの作品が飾られてるのを聴いても、アートショーで賞をとっても「ポールなら当然だな」と思いました。
ただジュエリーを作る事が大好きで、奥さんと家族が大好きで、風の強い町で多くを語らずひたすらに作る。ポールはすごいなぁ!ポールの工房の窓の景色のように変わらない日常に、ある日奥さんが「レストランの今日のオススメは魚料理なんですって!予約しといたわ!」と弾んだ声を上げる。ポールは奥さんの喜ぶ顔が大好きでいそいそと出かける用意をする。
二人はおめかししてポールの家から一時間近くのネブラスカとの州境いのレストランに出かけていくのでした。
いいなぁ。
この人の作るジュエリーがいつも確実で安心感があるのは、この風の町の変わらない日常に似て、時を経て肌に馴染むように感じられるからです。
そんなポールのジュエリーが届いたんですが、今日は一日バタバタ忙しく過ごしてしまいました。
明日には更新できそうです。
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春になったのせいか、今日は無性に、溜め込んだラコタの資料が気になって、その整理を始めることにしました。アルバムや本の整理を始めると、ついページをめくって見入ってしまっていっこうに片付かないことがありますが、今回の資料整理もそうでした。
あぁ、こんなのもあった、この人もいた、これは何だっけ、と時間ばかりくって結局ひとつもはかどらず、若干順番が入れ替わった程度で以前のまま脈略なく置かれる始末です。
で、その中で懐かしいものを見つけました。
2000年の、ローズバッド(スー) トライブの部族学習教室のぬり絵カレンダーです。
当時まだ小学生だったシャロレーンが通っていた学習教室で、ラコタ語の学習もしていると言っていました。
2000年、私が彼女の家に遊びに行ったその日は一日中馬の放牧に付いてまわって、子供らしい遊びにつきあったりして過ごしました。帰り際に、彼女が小走りに子供部屋に駆け込んだかと思うと、このカレンダーや、ラコタ語の練習帳やらを持ってきて私にくれようとしました。まだ、新品の練習帳はほとんど宿題の後が見られなかったし、カレンダーは余分にあるというので、このぬり絵カレンダーだけをもらって帰りました。
なんであの時、もっとしげしげと見なかったのでしょう。
今ページをめくってみると楽しい楽しい。
各月ごとに、イラストとラコタのストーリー、たとえば一月は、梟(ふくろう)がラコタの人に敵がきたことを知らせる鳥であったことの由来、 2月は何故デビルスタワーが出来上がったか。
3月は「誰かを馬鹿にしたイクトミに何がおきたか」
こんなふうに12月までおとぎ話がイラストと一緒に書かれています。
それから、月の名前はラコタ語で書かれ、英語の訳が付いています。
小学生が自分たちの文化と失われていく言葉を学ぶ工夫でいっぱいです。
1月 Wiotehka Wi ( Hard Moon)
2月 Cannaposa Wi ( Moon of the popping trees)
3月 Ista Wicayazan Wi (Snow blindness Mouth)
4月 Wihakakta Cepapi Wi (Younger wife fattens Moon)
5月 Wojupi Wi (Planting Moon)
6月 Wipsz Kan Sapa Wi (June Berry Get Black Moon)
7月 Canpa Sapa Wi (Choke Cherries Get Black Moon)
8月 Wasuton Wi (Ripening Moon)
9月 Canwape Gi Wi (Leaves Turn Brown Moon)
10月 Canwape Kasna Wi (Moon of Falling Leaves)
11月 Waniyetu Wi (Winter Moon)
12月 Teca Caspun Wi (Moon When Deer Shed Their Horns)
(ラコタの中でも、部族によってまた違った月の呼び名があると思うので、これはあくまでも、その中のひとつです。メディスンホイールにも、色や配列の違いが部族で違うことがあるようにです。)
それにしても、何て美しい呼称でしょうか。
あるラコタの友人に「我々のラコタの名前には、一つ一つ意味があるんだ。君の名前の意味は何なんだ?」と尋ねられた時、私は、日本語の一字一字に意味のあることを改めて思い、日本語と自分の名前が誇らしいと思ったものでした。
ラコタの若者にとって、試練の多いリザベーションの生活に疲れる日々があっても、この土地を出て行っても、この美しい言葉を誇りと思える気持ちが、彼らを勇気付ける時がきっとあるにちがいないと思います。
さて、このカレンダーの毎月、どのページにも同じ文章が書いてあります。
What did Iktomi cause you to do today?
Don't let Iktomi lead you astray!
「今日、イクトミはあなたになにをさせようとした?
イクトミに惑わされるな」
(イクトミ(蜘蛛)は、トリックスターで、自然界の秩序を破り、物語を引っかき回すいたずら者とされています)
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Vick Youngはロデオの名手だった。
浅黒い肌に引き締まった体躯に、ウェスタンシャツやカウボーイハットはよく似合う。
奥さんのCathyの母親は、ラコタの有名なクイルワーカーとしてビデオにも登場している人だが、既に亡くなっていて、生前会えなかったのがとても残念です。
この夫婦、ともにたいへんトラディショナルなクイルワークを作る。
素朴で、派手な装飾もなく、いかにもラコタの人々が日常に使う感じのクイルワーク。
この写真は、Vickの作った、クイルワーク(ヤマアラシの針細工)ジッポーライターケースだ。
今日は、このジッポーライターケースにまつわるお話し。
私が、Vick、Cathy夫妻と知り合ったのはもう10年以上も前になる。
だんだんと親しくなり、ローズバッドリザベーションに行くときは、よく二人の家に寄るようになった。リビングのソファーに腰をおろし、マグカップいっぱいの熱いコーヒーを入れてもらい、トツトツと語る二人の話を聴いたり、子供たちと馬に乗ったり、川遊びをしたり。
ある日、Vickがジーンズのポケットからジッポーライターをとりだした。
彼の節の太い手に握られていたライターには、やまあらしの針細工がほどこされていた。やまあらしの針は色褪せて、ところどころ外れて芯のローハイドがむき出しになっている。
私はずっとラコタのクイルワークを探し続けてきたが、こんなのは初めてだった。
VickとCathyの作品群にも登場したことがない。
Vickの手のひらで汚れて褪せたジッポーライターは、彼が仕事終わりにソファーに身を沈め、窓の外にリザベーションの風景を眺めながら、また、馬の飼葉の合間に一服しながらと、毎日使われてきた愛用のライターだ。
「これは、Cathyが結婚記念日に作ってくれたんだ。そりゃ驚いたし嬉しかったさ。それ以来ずっと使ってるんだ。とっても気に入ってる。後で俺も同じものをCathyのために作ったんだ。ちょっと遅れたけど結婚記念日のプレゼントとしてさ」
私がこんないいストーリーに飛びつかないわけがなかった。ハイエナのような奴である。
「大変恐縮ですが、その思い出の品、私にも作ってもらえないでしょうか」
彼らはにっこり微笑んで了承してくれた。もちろん日本に住む誰かがそれを買って、またVickのように気に入ってくれて、色褪せクイルの外れるまで愛用にてしてくれるのも知っている。それがもしいい思い出ならみんなでシェアしようじゃないか。
その人は日本の狭い窮屈な喫煙室で一服しながら、同じ時間に平原が広がっている風景のあることを思うだろうか。そろそろ禁煙しなくちゃなと思いながら、ポケットのライターのクイルの馴染んだ手触りを確かめたりするかもしれないな。
それだってずいぶん素敵な話しだ。
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東京は大雨です。
足元も悪く店にやってきました。ジーンズは膝まで濡れ、急な寒の戻りで背中がゾクゾクします。風邪のひきはじめかもしれません・・・。そういえば咳も・・・ゴホゴホ!
ずっと、マークもジョンも、連絡を期待していたのに、誰のメールも入っていません。「新着メッセージはありません」。
この雨で東京の桜も散りそうです。
こんな日があります。パソコンに向っても頭は真っ白です。
エイミーちゃんは電話番号さえ変わっていました。
きたきたきた。この感じ。
「待ちぼうけ」なこの感じ。
ここからここから。私はしつこいよ~!「ど根性」を死語というなよ。
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写真は、Jim Little Wounded制作のフルートです。
楽器としてももちろん、素朴ないい音色を奏でます。
ラコタの工芸品としてもぜひご覧頂きたいものです。
Jimは、サウスダコタ州シャイアンリバー・リザベーションに住む、ミネコンジュー・スー族です。ラコタ族の工芸品作家としても、第一人者の一人です。
もう10年以上サウスダコタに通い、Jimに作品を見せてもらうこともたびたびですが、その度に感動を覚えます。
そうもう、7、8年前の暑い暑い日のことを思い出します。かなり長い期間をとって買い付けに出ていた時のこと。 そうとう余裕を持って事前に日本から電話で会う約束とオーダーを取り付け、Jimに会う!を最大目標に掲げてサウスダコタに向いました。
滞在中、Jimに電話を何度もかけて、作品をとりに行く算段をして、「明日」と言われれば明日の日程を反故にしJimに会う時間をとり、「あさって」と言われれば、また予定を変更し、「三日後」と言われれば、遠くローズバットからいそいそと帰り支度を始め、とにかくJimに会うために万事やりくりして備えました。
が、ご多聞にもれず、「その日」はなかなかやってこず、待ちくたびれて「もう帰国しよう」というころやっと作品は出来上がりました。
Jimの住む村には一軒のガススタンドがあって、そこを待ち合わせ場所にしました。
ラピッドシティから延々リザベーションまで、運転も楽しかったですね!待ちに待った作品が手に入るんですから、身体はクタクタなのがまた気分を高揚させました。こんなことってありますね。
で、私はガスステーションに約束の時間より早めに着いて、ガソリンを満タンに入れ、ダイエットコークを買って、商品棚のスナックのパッケージをぶらぶら眺めて、トイレにもいって、一回外に出て、真昼間であんまり暑いのでもう一回中に入って、商品棚を眺めて・・・をただただ繰り返して待ちました。
スタンドの公衆電話で連絡したら、その度に「今から行く」と言われ、期待してJimのバンが土煙を立ててやってくるのを、砂漠でオアシスをみつけるように注意深く、遠くを覗き込むようにずっと見つめていました。
日が沈むころ、そのバンはやってきました。
私のイライラは頂点に達し、今にも博多弁で「遅いったい!どんだけ待ったと思っとうと?!」と叫びだしそうでした。
Jimはくったくなく笑って「遅くなってごめんよ~」と申し訳なさを満面に、そっとオーダーのナイフシースとポーチを取り出しました。
氷解・・・とはこういうことか。 私は一瞬にして、すべてのスケジュールが狂ったことも、炎天下長時間待ったことも、毎回の電話でのいい訳も、忘れ去ってしまいました。
アーティストとはこういうことです。
どんなに待たされ、引っ張りまわされ、精神的に疲労困憊させられようとも、その人の作品が「全て」になるのです。あとの事なんてのはもう、どうでもいいのです。
Jimは私を感動させ、リザベーションからの帰路の暗い夜道も、腰の痛くなる座席シートも、CDの付いてない古いレンタカーも気になりませんでした。
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Louis Shaw のインディアンドールのネックレスの写真を撮りました。
上出来です。
そういえば、ルイス以外でこんな人形のネックレス、あまり見かけない。
他に、ミニチュアのワーシャツや、アムレットを額装している人はいますが、インディアンドールは・・・Little Elkは作ってたかな?いや、アムレットや、ワーシャツのミニチュアとかの額装だった気がします。
この人形のネックレスはだから、ルイスならではの十八番かな。
他にも、すごいのを作るんですよ。
米軍の払い下げのごついブランケットに、伝統的なビーズ細工を施した大作を仕入れたことがあったのですが圧巻でした。
最近はルイスの大きい工芸品を見かけなくなったのは残念ですが、この人形は作り続けているようで嬉しいことです。ちゃんとビーズ模様のスクラップを作ったり、小さいビーズを小分けして収納してたりと、大きい体に似合わない几帳面な作業机で、今日もこつこつ作業してるんだろうと思います。
一体一体、ビーズの色や模様や縫製なんかが、少しずつ違っているので、それぞれに個性を感じます。
この人形は、色合いと縫製とビーズが、きっちり決まってて、「上出来!」な優等生です。
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